前回に引き続き、曾祖父の勲章箱を調べていると金鵄勲章以外にも、1つメダルが出てきました。
つくりは金鵄勲章よりも幾分簡素なもので箱もなかったため、インターネットで調べてみるまで何か分かりませんでした。
目次
1.小銃射撃記章の正体
2.部隊編制と授章者数
3.狙撃手?
4.杉元佐一殿は杉本佐一殿!
1.小銃射撃記章の正体
それがこの小銃射撃記章というものです。
勲章とは違うので、「ただの兵隊の役割を示すバッジで、ライフルを持たされていた人が全員着けていたんだろう」とはじめは思っていました。
しかし、よく調べてみるとこれは、射撃成績が優秀な者だけに授与されるものだったのです。
この記章には兵科によって、剣術、機関銃射撃、速射砲射撃、馬術、歩兵砲観測、砲兵通信といったものが存在するようです。
さて、小銃射撃記章ですが、授与される基準は、どうも連隊という単位での射撃大会の成績で決まるそうです。そして、1種・2種・3種と区分があったようです。
(↓こういった形の30年式歩兵銃というものが支給されていたそうです。欧米では、開発者の名前でアリサカ・ライフル(Arisaka rifle)と呼ばれていたそうです )
ある方がネット上に出されていた数字によると、「1種は連隊あたり約15名程度の兵と下士官に、2種は大隊あたり15名以内の兵と下士官に、3種は中隊あたり18名程度に与えられる」と決まっていたようです。これはどういう評価方法でこのような配分になるのか分かりかねますが、とりあえず調べてみました。
2.部隊編制と授章者数
この連隊、大隊、中隊という単位は何人ぐらいがいるのか、とりあえず調べてみることにしました。まずは、ウィキペディアで軍隊の組織編制というのを調べてみました。
組<班<分隊<小隊<中隊<大隊<連隊<旅団<師団<軍団<軍
というように大きくなっていくようです。
構成人数は、組は1人~6人、班は4人~6人、分隊は8人~12人、小隊は30人~60人、中隊は60~250人、大隊は300人から1,000人、連隊は500人~5,000人となっているようです。
仮に中隊を60人、大隊を300人、連隊を500人として考えると、
3種は約30%、2種は約5%、1種は約3%程度しか授与されないことになります。
この曾祖父の小銃射撃記章ですが、オークションにかかっているものと見比べると、1種のように見えます。ただ、箱も証書もないので、どれかは不明です。
3.狙撃手?
これも、ネット上にある情報ですが、
この記章を持っている者が所属する分隊には通常よりも精度の高いライフルが特別に支給されていたという話があるそうです。
精度の高いライフルとは、いわゆる狙撃銃とよばれるもので、望遠スコープが付属していたのではないかとの情報もありました。
曾祖父が使用していたのは、30年式歩兵銃というものになると思いますが、スコープが付いたりするのは、もっと後のことのようです。
ゴールデンカムイでは上記の銃が登場しますが、スコープはついていませんでした。
ところで、ゴールデンカムイで狙撃と言えば、元第7師団の尾形百之助という人物が出てきますが、独特のシッティング・ポジション(座射姿勢)をとって狙撃する渋いキャラです。
曾祖父も彼のように狙撃技術を駆使して武功をあげたのでしょうか。
ちなみに、小銃射撃記章を付けている射手は、小隊長の近くに配置されることが多かったとのことが、これまたネット上にありました。
俯瞰視点で戦場を見ている小隊長に「あの機関銃手を狙い撃て!」とか「あの指揮官を狙撃せよ!」とか指示を受けて仕事をこなしていたんでしょうか。
(↓スナイパー(狙撃手)と言えば、この映画ですね)
狙撃といえば、観測手と呼ばれる双眼鏡などで標的をきちんと射抜くために距離を測ったり、風向きを伝えたり、どこに着弾したか伝えたりする役割の方が横にいるのを映画などで見かけることがあります。でも、この頃は双眼鏡があまり普及していないような気がしませんか。映画「203高地」でも乃木将軍は単眼鏡を使っていました。また、他の将軍クラスも双眼鏡は全員が持っている感じではなかったように思います。
調べてみると、この日露戦争のころにドイツからカールツァイス社製の双眼鏡を輸入して配備し、国産化も推し進めていったということだったので、小隊長レベルでないと双眼鏡は持っていなかったのかなと考えると、小隊長が観測手をしながら狙撃していたのかもしれません。まったく私の推測の域を出ない話で申し訳ありませんが、このような記章が見つかって妄想が膨らんでしょうがないのです。
4.杉元佐一殿は杉本佐一殿!
こんな風にいろいろと調べていると、なんとゴールデンカムイの主人公・杉元佐一殿(いまさら殿を付ける!) は杉本佐一殿という実在の方で作者の御曾祖父殿というじゃないですか!
こんな題名付けてしまったが、なんということでしょうか!変更します!
主人公・杉元殿は、第1師団(白襷隊)という設定でしたが、作者の野田サトル先生の御曾祖父殿は第7師団所属で、主人公とはまったく別人として描いているとのことでした。
私の曾祖父と一緒に同じ戦場で戦っていたと思うと、感慨深いものがあります。
そして、なんと野田サトル先生の御曾祖父の杉本佐一殿も金鵄勲章を受章されていました!
野田サトル先生の御曾祖父の杉本佐一殿のお話はこちらです!感動しますね、これは!↓
奉天会戦で?!こんなエピソードが!
ちなみに、御曾祖父殿のお話は、町山智浩先生との対談でも話題にのぼっております。↓
ゴールデンカムイ。ますます思い入れの深い作品となりそうです!
さて、この曾祖父の勲章に関係する話をいろいろ調べているうちに、野田サトル先生の御曾祖父殿まで登場し、ボリュームアップしてきたので、次回に続きます。次回を最終回(4)としてひとまず終わりということにしようと思います!
次回は、勲章についていた証書に書いていた階級から曾祖父の当時の役割などについて書いて締めくくってみようと思います!
最終回(4)につづく!
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